“アートはハート”

アートと心を再び融合させる

日本の山脈で奮起した

オーストラリアのしがないサーファーの話

若さと自由を謳歌して、ただがむしゃらに日々を過ごしていました。

若さと自由を謳歌して、ただがむしゃらに日々を過ごしていました。

 
 

全ては1994年から始まった…

1994年当時、日本人の彼女とラティー(ロブ)とで“ミニスティックス”というサーフボードのインテリアを販売するお店を切り盛りしていました。

クイーンズランドのゴールドコーストで確かな品質のミニチュアボードを制作し、地元はもとより、オーストラリア全土、日本でも販売していました。 当時は額におさめられた“サーフィンの歴史”や“ナット・ヤング(Nat Young)コレクション”などの伝統的な作品を多く取り扱っており、ビラボン(Billabong)がフラグシップストアのインテリアとして飾ってくれていた時代もありました。ジャック・エデン(Jack Eden)やミジェット・ファレリー(Miget Farrely)、グレッグ・ノール(Greg Noll)、マーク・リチャーズ (Mark Richards)、 トム・キャロル(Tom Carroll)、ボブ・マクタビッシュ(Bob McTavish)など多くのサーフィン業界の著名人ともコラボしていました。 クリス・ビストロム(Chris Bystrom)とは何年にも渡って仕事をしました。依頼を受けてミニチュアボードをネブ(Nev)やブラザーニールセン(Brothers Nielsen)、コカ・コーラ、ベアー、ワールドサーフィンゲームズ (1996) サーフィンオーストラリアのために制作し、地元のサーフィンイベントのためにトロフィーも制作しました。

彼らはビーチの近くに住まいを設けていたこともあり、仕事がひと段落した時には一日中サーフィンをして過ごしたりもしました。そしてこの生活が5年ほど続きました。

表面上は素晴らしい時をおくっているように見えた人生も、自己中心的に陥りがちな若気の至りが足を引っ張り、彼自身が解決しなければならない問題が常に背景にありました。

次第に精神的にも余裕がなくなり。 人生で成功をつかみとるためには強い意志、決意、男性としてのある種の冷酷さが必要であると言う概念にがんじがらめになってしまいました。この間違った考えから抜け出せないまま、常に気が張っているのはサーファーとしてのアイデンティティーによるものだと言う誤った認識へと発展していってしまいました。働けば働くほどストレスが増幅し、ビジネスが飛躍すればするほど彼の状態は悪化の一途をたどりました。二人三脚で続けてきたものの限界が近づいてきていたのは火を見るよりも明らかでした。量より品質を大切にしたい、お金より芸術性を追求したいと思うのと同時により効率の良い制作法を追求するあまり何かに取り憑かれたような状態になってしまいました。今考えてみれば彼はエゴと本心との間でもがき苦しんでいたのだが最後までそれに気づく事ができなかったがために後に大きな犠牲を払うこととなったのです。 5年ほど月日が経った頃体調を崩し、閉店することになりました。真摯な思いで始めた商売でしたが、追い詰められるように事業を締めることになりました。

アートと人生を再び結びつけたいと言う思いが導いてくれた道でしたが、最後は混乱の渦に飲まれていく形で幕をおろしました。

マスクはしていたものの、PUレジン作業を通して徐々に身体が蝕まれていき、長期間にわたって入院することになりました。そして退院する頃には全てを失っていました。

 そんな時、彼のライフパートナーが希望の光、救いの手を差し伸べてくれたお陰で彼は日本に移住することとなりました。この環境の変化が彼の苦しみとエゴを完全に取り除き、気づけば彼は空っぽな心で日本の雪山に立ち尽くしていました。雪に覆われたその時期の日本の山々は素晴らしく、空から落ちてくる雪に反射する太陽光を、当時かけていた色付きのレンズを通してみた映像を今でも鮮明に覚えています。ふとその瞬間、かつての自分がいかにエゴにとらわれ、人生の中の精神的な側面が目覚めるのを阻害していた事に気づかされました。スノーボードのインストラクターを雇い、三日間の基礎特訓を受ける中で自身の今後を見つめ直し、仏教の世界に飛び込むことにしました。

何かに初めて挑戦する時はためらいが生じるものですが、仏教の教えは彼の精神を明るく照らしてくれました。自身の中のわだかまりを解き放つ事ができ、心の平穏を手に入れる事ができました。これによって本来の自分を奪還することに成功し、自分自身よりも他人の事を先ず考えられる様になったのでした。

二人が結婚したことによって成功することへの猛烈なエネルギー消費がなくなり、流れに任せるより自然な活力へと変化しました。“自身の本質を改めて見いだす事ができた事が大きな収穫でした。その後、以前とは畑違いの分野でをして、仕事を初めて今でも順調に継続しています。”

屋根裏に上がって埃をかぶったMinistix関連の箱をおろしてきたのはつい先日のことです。残していたのはほんの一部でしたが、少し修繕すれば使用できるものが多く、ボード事業を再開するには十分でした。 以前にも記述しましたが、彼は東京在住の在留者です。そしてModelstixという新しい名前の元、新天地にて事業を再開することにしました。

年月を経て得た成熟された思考と新たな解釈によってアートと人生の再統一というミッションがよりゆっくりと意味ある過程を歩みながら人のためになる活動となって行きました。彼は宗教家ではありませんが、彼の仕事の真髄にあるものは深く魂が刻まれていて、年季の入ったサーファーが持ち合わせているべき気質であることは確かです。

ギャラリーのお写真やModelstix.comのHPにて詳細をご覧ください。サンプルボードは全てオリジナルの素材から作られ、バルサとレッドウッドの寄木細工も含まれています。新境地で人生最大のミッション「アートと人生の再融合」に改めて挑戦しようとしています。ただし今回のポイントは中古のサーフボードの再利用して環境に有害な廃材を減らすことなのです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。この活動を広めるためには口コミが最も重要ですので、ご興味を持っていただけましたらお知り合いにお知らせいただけましたら幸いです。近い将来皆様のお手元に素晴らしいサーフィン記念商品をお届けできることを心待ちにしております。

時に人生は壁際に追い詰められる様な窮地に立たされること事もあります。そんな時は頭と手、心をフル活用すれば、そこにあると思っていた壁が実は最高な波になる可能性を秘めている事を忘れないでください。

・・・そして覚えていてください、大事なのは人生経験ではなく、物事と向き合う時の態度なのです!

サーフィンをするありのロゴにご注目ください!

またお会いしましょう。

心より、

ラティー(ロブ・マシュース)とModel Stixクルー一同

2020年吉日